「古代ギリシャのリアル」を読んで知識欲が止まらない話
藤村シシンさんの「古代ギリシャのリアル」を購入しまいた。
今もAmazonでは入荷待ちの状態なうえ、マーケットプレイスでは倍近い値段でぼったくろうとしてる業者さんもいらっしゃるようで。。。
私はネット予約をするのを失念しており、昨日今日と職場近くの本屋を物色し二件目で購入できました。
歴史書コーナーにある程度のスペースを割いている書店ならもしかしたら、まだ棚に並んでいるかもしれません。
まだパラパラとつまみ読みの状態ですが、この本、どこから読んでも面白いです(笑)
面白い、というか、どこから読んでも楽しめます。
なんなら目次から興味のあるページへ飛んでそこだけ読むというのを繰り返すというのもアリだと思います。
というのも、同じテーマで書かれた関連ページ数がご親切に書いてあるから!!
私なんぞ、既につまみ読みしすぎてもう全頁読んじゃったんじゃない?って思うくらい。
ギリシャ神話の神々は色んな物語の題材になっているので、なんとなーく聞いたことがある程度の知識しかありませんでした。
恥ずかしながら声楽を勉強していたくせに今更こんな不勉強っぷりを露呈するのも恥ずかしいのですが。現役で声楽を勉強していたころ、必要に駆られて神々の名前や話を追っていただけで、ちっとも知ろうとしなかったのかもしれません。
カタカナに弱いという先入観もあり、なかなか神々の特徴が入ってこないのです。単に私の脳みそが残念なだけなんですけど。
それが、シシンさんのツイッターを眺めていると、神々が生きているんです。
もちろん「古代ギリシャのリアル」でも、本の中で、紙の上でちゃんと生きてる。
どれもこれも魅力的な人物(人じゃないけどあえて)なので、彼らの生きた世界が急に色づいて読めるようになりました。同時に古代ギリシャがぐっと身近に感じられる様になりました。
今まではなんとなーく知ってるけど、どこか遠い存在で白黒の本の中に書いてある事、みたいなイメージでしたが、いやー、めっちゃ生きてる。生き生きとしすぎて突っ込みどころあり過ぎ。楽しい。
ギリシャ神話や古代ギリシャの入門書としては最高だと思います。
元々お好きな方も、こんな見方があるんだ!これがリアルか(笑)という発見もきっと沢山あると思います。
シシンさんの語りから感銘を受けたことの中に、悪として描かれがちな冥王ハデスが実はどの神様よりも誠実で真面目で公平な神なんじゃないか、そう思わせてくれた事があります。
金田淳子さんのネット番組「真夜中のニャーゴ」に出演された際に、ハデスとペルセポネの話をされていて、「あぁー、ハデスとか冥界とか死を連想する文化を好きでいて良いいんだ…」と、なんだか救われた気になりまして。
それ以来、周りを気にすることなくそっち方面の音楽を好きだと主張してみたり、自分のサイト名に後ろ暗くなる事もなくなり、なんだか色んな意味でハッピーになれたわけです。
世の中に溢れる悪魔的な文化への興味であったり、それらをファッションとして楽しむ事、はたまた信仰としたり(悪魔信仰と称して犯罪者になるつもりは全くありません、念の為)、死・冥界・善悪などへの興味がさらに進んだと言っても過言ではありません。
そうそう、ハデスといえば、声楽を学び始めた女子がまず最初に歌うアリア、いわゆる入門編の定番曲というのがありまして。
『フィガロの結婚』のケルビーノのアリア「Voi che sapete(恋とはどんなものか)」
『リナルド』の「Lascia ch'io pianga(私を泣かせてください)」
ここら辺はメゾ、ソプラノ問わず必ず通る道です。
そして
『オルフェオとエウリディーチェ』のオルフェオのアリア「Che faro senza Euridice?(エウリディーチェを失って)」
これも声質問わず歌うのかな、特に私はメゾソプラノという低めの声質だったので、この曲とはかなり長い付き合いになりました。
『オルフェオとエウリディーチェ』が正にギリシャ神話を題材にしたオペラだという事は、勉強してなくともご存知だと思うのですが、あえて書かせて頂きます。
唐突ですが、
わたしは既に、冥界に行っていた!!
オルフェオとして、ハデスに会っていたのです!!!
(すみません、めげずにこのテンションに付いてきてください)
あ、『オルフェオとエウリディーチェ』を御存じ無い方向けにあらすじをちょろっと書いておきます。
オルフェオが死んだ妻エウリディーチェを取り戻そうと冥界へ行くお話で、自慢の竪琴(音楽)を武器に冥界へ乗り込んでいき、条件付きとはいえエウリディーチェを取り戻すのですが、地上へ還る途中、自分の顔を一度も見ようとしない夫に不信感を抱いた妻にあれやこれやと問いかけられます。「本当は私の事を愛してないんじゃないか」「そこに愛が無いのに生きかえってどうするの」「愛してるならこっち向いてよ」とかなんとか責め立てるわけ。結局堪え切れなかったオルフェオは「けして地上に出るまでエウリディーチェを見てはいけない」という条件を破ってしまい、エウリディーチェの方にふり返って抱きしめたとたん目の前でエウリディーチェが再び死んでしまいます。
結局、オペラでは一人で地上に戻ったオルフェオが嘆いて自殺しようとしていた所に愛の神が現れて、「お前の愛は十分に伝わった」とかなんとか言ってエウリディーチェを生き返らせてハッピーエンドになるわけなんだけど、これはあくまでオペラの話。
ギリシャ神話では妻を失い自暴自棄になったオルフェオ(オルフェウス)は結果的にディオニューソスの怒りを買い、殺されちゃいます。遺体はバラバラにされて捨てられちゃう。んで、結果、星座(こと座)になります。
ハデスに話を戻しますね。
オペラでは条件を出したのは愛の神とかゼウスって設定になってるっぽいですが、ギリシャ神話だと冥界でオルフェウスと取引したのってハデスって事になってます。
しかもハデスは最初全く取り合ってくれなくて、もちろん自慢の竪琴で奏でた美しい音楽も通用しません。
ハデスってばどこまでも中立で公平なんですよ!!冥界の王として秩序を守らなきゃいけないしね!!
オルフェウスは埒が明かないってんで、ハデスの奥さんであるペルセポネに頼み込んでどうにかこうにか奥さん経由でハデスを説得するんですよ。
そこで出されたのが先の「けして地上に出るまでエウリディケ(エウリディーチェ)を見てはいけない」って条件なわけ。
でも結局オルフェウスはその約束を破っちゃって台無しに…
ハデス的には本来無理なお願いを利いたのに約束破っちゃったんじゃぁどうしようもねぇ、って感じですよね。
そりゃエウリディケは冥界に戻りますわな(死ぬってこと)
そんなこんなで、あらためて考えてみると、昔はやみくもに命を奪うものは悪として単純に考えていましたが、なんだかそうじゃないのかも?なんて思えて来ていて。
ハデスも冥界も、何処にも悪の要素が見られないんですよねー。個人的な感覚かもしれませんが。
エウリディケ(エウリディーチェ)はオルフェウス(オルフェオ)に手を引かれて地上に帰る時に散々文句垂れてるし。本当は生き返りたくなかったんじゃない?冥界の方が楽しかったんじゃないの?みたいな事も考えられませんか。
これは当時もぼんやり感じてました。なんかエウリディーチェ帰りたく無いっぽい?本当にオルフェオの事を愛してんのかなぁ、迎えに来てくれた夫をあんなに攻め立てるかー?大人しく付いてって地上で確かめたらいいじゃん?みたいな、ちょっとした違和感はあったんですよね。
当時はなんでそう感じたのかはっきりしなかったけど、最近ようやく、ぼんやりとですが理由が分かってきた気がします。興味があったらまず調べる。単純な事ですが、意外と出来てなかった。
それもこれも、シシンさんが描く神々があまりにもリアルで生き生きとしているので、もっと知りたい、あれもこれも本当の意味はどうなんだ?と次から次へと欲求が溢れ出てくるのです。
そういう意味でも、色んな楽しさを再確認させてくれた本でした。
今なら昔と違った「Che faro senza Euridice?(エウリディーチェを失って)」が歌えそうな気がします。
もっと勉強せにゃな~!!
知識欲はキリがないですね。
現実世界で手に入れた物質は死んだら持っていけないけど、もしかしたら蓄えた知識は持っていけるかもしれない…なんてアホな事も考えてみたり。
「60歳まで生きれたら儲けもん。後は余生だ。」そんなことを大真面目に言ったら友人に呆れられましたが、わりと本気だったりします。
もう今この時間も余生かも知れません。
私のちょっとズレた死生観はこういう所から来てるのかなーと。
もうちょっとまとめたいトコロですが、今日はこの辺で。
長文乱文失礼しました。
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